公文は、インドネシアでなぜ人気なのか? [インドネシア納得情報]
2010年6月13日の朝日新聞で、インドネシアの中間層が増えて、それを狙って次々とインドネシアに進出している日本企業が取り上げられる中、公文の事例があった。
私は、小学校1年生の時に、インドネシア語があまり出来なかったのです。それは、家で使う言語は、ジャワ語だったからです。学校だけでは、授業についていけないので、親は、クラスの担任先生が開いた夕方の塾に私を通わせたのです。日本では、あり得ないことです。月謝は当時(1987年)5000ルピア(200円)程度。同じ塾に通っている同級生は、10人もいた。試験の前に、ドリルがあり、全部暗記すれば最低でも8点は取れる。2年生になると、担任先生が変わるので、塾も変えた。このように、6年生になるまで六回も塾を変えたのです。
勉強会の様子
中学校に上がり、授業の数が増えるので、とりあえず、理科・数学の塾に通った。先生は何人かいるが、一番試験が難しい先生にした。やはり、ここに通うと、試験情報がもらえた。アンフェアだが、皆、通っている。
高校は、国軍付属高校なので、塾は無かったが、大学受験の時に、三年生になると皆学校の外の予備校に通い始めた。私は、物理オリンピックに参加してたので、文部大臣の推薦でITB(バンドン工科大学)に決まったので、この過酷な受験戦争から逃れたが、聞くところによると、やはり難しかったそうだ。
私のストリーは11年前の話だった。3月、インドネシアに帰る時に、地元の本屋さんに立ち寄って、高校の経済や物理などの教科書はなんと!バイリンガールになっています。英語とインドネシア語の記述がある。となると、高校を卒業すると、少なくても 地元の言語、インドネシア語、英語が話せる という。
押し付けない
押付けない教育
今では、先生の個人塾に任せるよりも、人気予備校に通わせる方が、流行だ。ソロバン教室も田舎の実家にもあったような気がする。公文は、日本ブランドを上手に使ったと思う。
公文の成功の背景には
1)ますます過酷になった受験戦争
2)日本人は頭がいいというイメージがあり、その教育制度も必ず良いという先入観がある。
3)日本ブランドの進出(TOYOTAなど)
4)子供中心の家族観念。
家の馬鹿息子 という言いかたが無い。家の息子は頭が良くてね という会話が成立。聞く相手も不愉快に思わない。
5)多民族国家・多様性のあるインドネシアは、群がるのが好き。塾では新しい仲間と出会えると考えている親が多い。教育は学校だけではない。
by.アルビー(Albertus Prasetyo Heru Nugroho)
インドネシア語講師・日本政府機関通訳翻訳家・コンサルタント
HP www.merapi.com/arbi
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Mobile 090-9342-2726
インドネシア語を学ばれたい方は是非ご連絡下さい。
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