般若心経とインドネシア人の心 [インドネシア納得情報]
インドネシアは最近経済的に注目されていますが世界一イスラム教徒が多いです。しかし、6世紀に戻ると実はインドネシアは仏教の王国だったのです。中学校の時にインドネシアの歴史教科書でよくPRADNYAPARAMITAという語が出て来ましたが、何となく女性っぽいイメージがあります。来日して般若心経と出会ってからなぜPRADNYAPARAMITHA【般若波羅蜜多】という名前が付いたか分かりました。PARAMITHAは英語で言うとPARAMOUNTつまり頂上・一番だという意味だそうです。最高の知恵でしょうかね。
私はカトリックですが、般若心経を唱えることが出来ます。その中で一番好きなのは、
観自在 菩薩 行深 般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
上記の部分です。特に没頭の 観自在 というものです。どうもサンスクリット語だと Avalokiteswaraつまり観音様だそうですが、私は 観自在 というものは、菩薩の名前というよりも、文章にしていくと
観音様 は 自分の中に 在る
つまり、観音様 は、【良心】【良い心】の比喩だとすれば、上記の文章は、全ての人に観音様が居られる という意味になります。つまりは、全ての人はそもそも善人である!これがベースになって初めて【般若心経】が成り立ちますね。
Arbee's comment
ビジネスにおいて、普段の付き合いにおいて、我々は他人となんらかの形でぶつかったりします。愛したり、喧嘩したり、憎んだりもします。しかし、どんなに悪い相手でも【きっと観音様が居られる】と考えれば、コミュニケーションが続きます。インドネシア人は、基本的に直ぐに 相手を【kasihan(可哀想)】と言いますね。kasihanは慈悲深いとも言います。orang itu jahat kasihan sekali.(その人は悪人だ。とても可哀想)という時は、その人はなぜ悪人になるんだろうか?環境はそうさせるから可哀想だなあ。普通、悪を働く人に対してマイナスな気持ちになりますよね。しかし、キリスト教でも【あなたを愛する人を愛することは誰でも出来るが、あなたを嫌いな人を愛することは、簡単なものではない】。丁度、般若心経の教えに似通っている。
300民族があって宗教もバラバラなインドネシアを束ねるのは、やはり対話です。対話の基礎は、人を信じることから始まります。なぜ人を信じるかというと、観音様が居られるからですね。昔からの仏教の知恵でございます。
by. Albertus Prasetyo Heru Nugroho
インドネシア総合研究所 CEO
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