Saya belajar bahasa Indonesia には、目的語無し。 [初級]
個人レッスンでも教室でも、入門は、必ず、下記の文を紹介します。
1.Saya belajar bahasa Indonesia.
主語 動詞 目的語のようなモノ
サヤ ブラジャル バハサ インドネシア
私は、インドネシア語を勉強しています。
2.Saya belajar bahasa {...........}.
{....}の中に、国名を入れます。
a. Prancis フランス
b. Inggris イギリス
c. Spanyolスペイン
d. China 中国
そして、発音練習と共に、表記の練習もします。狙いは、表音文字と音との一致です。そして、基本文が定着したと見られたら、下記の文を導入します。
3. Saya belajar bahasa Prancis dari orang Jawa.
主 動 補語 前置詞句
私は、ジャワ人からフランス語を習っています。
4. Saya belajar bahasa {........} dari orang {..........} .
私は、~人から~語を習っています。
難しい! (ので、理解しなくても良し。)
さて、なぜ Saya belajar bahasa Indonesia の bahasa Indonesia は、目的語ではないでしょうか?
まず、下記の文を見て下さい。
5. Saya membaca buku itu. (私はね、その本を読んでいるよ)
に対して、
6. Buku itu [saya baca]. (その本はね、私は読んでいるよ)
という文が作られます。membaca の後に来る語は、ゼロ形変形によって、主語のところに移動できることです。詰まり、このように、me-動詞の後ろに来る語は、ゼロ形(受動態とも呼ばれる)では、主語になりうる時に、その語は、目的語 と呼ばれます。
しかし、Saya belajar bahasa Indonesia という文には、5.と6.のように、姉妹文が存在していません。詰まり、
7. Bahasa Indonesia [ saya belajar].
という文は、存在しないのです。(御幣があるかもしれませんが、ここで言う存在しないというのは、インドネシア人なら、意識的に、作らない文です。意識的に作らない文に対して、普段、native speakerは言い間違ったり、無意識に作れるのだということがあります。)
7.の文は、存在しないので、Saya belajar bahasa Indonesia のbahasa Indonesia は、目的語ではないのです。しかし、名前が付かなければ、人間が落ち着かないので、『補語』と名づけましょう。
実は、インドネシア大学のUntung先生とこれについて、議論したことがありますが、Untung先生は、これを『 obyek non pasif』と説明して下さいました。どちらにしても、やはり、このbelajar bahasa Indonesia における bahasa Indonesia は、問題児ですね。
一言:
外国語を学ぶことは、自分の言葉をより深く知るためのチャンスでもあります。私は、理系でしたが、日本語の魅了に惹かれるあまりに、日本語学と呼ばれる学問を勉強するようになりました。なので、日本語の説明に私は、可也拘っています。時々、私の教室には、アメリカ人やスペイン人などが訪れて来ますが、日本人の方の弱点に慣れている私は、少し戸惑うこともあります。アルビー流の教授法は、日本人専用だなァと言うことに気が付きました。もう少し、universal grammarについて、学ぶべきなのかもしれませんね。ただ、経営学的に言えば、少人数を対応するための新教授法開発費用が、高いので、価格も高くなります。言い訳に過ぎませんので、はい!もっと勉強します!。
アルビーさん スラマ シアン!アパカバール?
私のブログに訪問くださりありがとうございます!
インドネシア語は、非常に興味深いです。文法を勉強とまではいきませんが、単語レベルで知識を増やしています!こちらのブログでも今後勉強させていただきます!サンペ ジュンパ ラギ!
by BLIT (2008-02-16 12:39)
BLITさん、
これからも是非ともいろいろと質問をして下さいね。分かる範囲でお答えします。
by アルビー (2008-02-16 16:31)