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映像配信テスト and 教育論 [教授法]

集中入門講座 in 新橋の授業風景(2008年)


その中の内容は、自己紹介です。
1.Nama saya // Arbee.
 私の名は、アルビーです。
2.Saya // berasal // dari Jawa.
 私は、ジャワから来ました。
3.Saya // tinggal // di kota Koganei.
 私は、小金井市に住んでいます。

注:(//)は、伸ばして上げて切る。
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アルビーの教育論 
達人とは、何か

達人は、武器を持たなくても、強い武器を持っている相手を打ち負かすことが出来ます。インドネシア語を勉強することに当り、中級になると、良く、難しい言葉を教わりたがる方がいます。
難しい言葉、つまり、専門用語というのは、武器に喩えることが出来ます。難しい専門用語を知れば知るほど、相手を圧倒することが出来ますが、これは、効率的ですが、効果的ではありません。又、強い武器に人は、頼る傾向がありますので、本来なら、コミュニケーション力を磨かないといけないのに、損なってしまいます。

なので、私の教室では、例え、中級でも、上級でも、自分の考えを『簡単に』『シンプルに』伝えることを重視します。武器が弱い程、技を磨く必要があり、人としての器も成長します。

たかがインドネシア語ですが、それも媒体です。お花やお香やお茶に作法があるように、インドネシア語の勉強もあります。自分を難しい言葉でごまかすのではなく、自分と向き合って語る。これこそ、アルビー流のインドネシア語です。
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by.Arbee (Albertus Prasetyo Heru Nugroho)
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インドネシア語教育論:筆記体とブロック体 [教授法]

若い世代は、ブロック体でローマ字を書くことが多いが、少し上の世代は、筆記体でローマ字を書く習慣がある。私は、2003年から様々な教育機関で、インドネシア語を教えるようになったが、この文字のことを重要視するようになったのは、2005年からであった。

日本で市販されるインドネシア語の教科書は筆記体で書かれることが殆ど無い。全ての教科書がブロック体で書かれると断定できる。確かに、インドネシア人は、国語の授業で、筆記体(menulis halus)を小学校で習ったが、若い世代は、PCなどの普及でブロック体を好んでいる。

普段ブロック体でローマ字を書く人は、インドネシア語のアルファベットを習うスピードが速い傾向がある。(これについて統計データが無いが、興味のある学生は是非卒論のテーマにして頂きたい)。学習者は、インドネシア語の表記がアルファベットだと聞いた時に、心の中にどこか安心してホッとする人が多いが、実はこれが落とし穴でもある。英語を表記するためのアルファベットと インドネシア語を表記するためのアルファベットが、記号が同じでも、音との対応関係が異なることに注意してもらいたい。

英語は、文字と音との一対一関係度が低いが、インドネシア語は、文字と音との一対一関係度が高いことにも注目してもらいたい。
英語の文字
 J(ジェ)U(ユー)M(エム)P(ピー)と言って、『ジュームピー』にはならない。
 KNIGHT(騎士) と NIGHT(夜) は、意味が違っても音が同じ。(英語はアングロサクソン系の言語で昔NIGHTが二ヒットに近い音だったそうだ)
KNIGHTNIGHTについて、漢字音の訪』  『放』と事情が似ている。三つの字とも『方』という共通部分を持ち、『ほう』という読み方で読まれる。『方』以外の部分は、文字の意味を決定している。
インドネシア語の文字
 S(エス)A(アー)Y(イエー)A(アー)を一緒に発音すると、(エスアーイエーアー)-->『サーヤー』になる。つまり、一個一個の文字が、SAYAという単語の音を構成しているのである。

このように、英語の文字体系とインドネシア語の文字体系が異なることが分かった。

さて、なぜ筆記体よりもブロック体が、インドネシア語を学ぶ際に効率がよいかというと、
1.ブロック体は、文字と文字の間がハッキリと分かれることが分かる。従って、それぞれのアルファベットの読み方が分かれば、大体、それによって構成される単語の音を予測することが可能である。
2.英語の文字の筆記体に慣れると、例えば、インドネシア語のAPI(火)『アーピ』を聞くと、無意識に『AーPY』と表記してしまう。教室などで、教師が話している単語は必ずしもプリントに乗っている訳ではないので、プリントに乗っていない単語を書き取ろうとした時に、上記のような例で、[AーPY]と誤って書くと、無論、辞書にそのような表記を持った単語が無いので、意味を調べられない。従って、無駄な時間が増える。

2.のような書き間違いは、ブロック体にもあり得るのであるが、私の経験では、筆記体に慣れる方に特に気を配る必要がある。方法は様々だが、例えば、宿題の提出の際に、ワープロかワードで書いて提出するなどで、ブロック体を使わせるなどである。


アルビーの一言:
  講師の他に、同時通訳や逐次通訳などをしています。日本国内は、沖縄しか行ったことが無い。時々、現場で、漢字やひらがなやカタカナを書けないのに、日本語が話せるインドネシア人漁船員などと出会ったが、彼らの言葉づかいは非常に興味深い。文字を介して日本語を学んだ私と異なる方法で日本語を取得したことが事実なので、単語などをどのように記憶するか 知りたい。もし時間が沢山あって、体もいくつもあれば、論文の形式で書き留めたい。恐らく、今のところは無理であろう。

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by.アルビー(Albertus Prasetyo Heru Nugroho)
  Indonesian Language Instructor and Language Consultant
HP         : www.merapi.com/arbi/i.html
Mobile    :090-9342-2726
Email     : lakilaki_indonesia@yahoo.co.jp

(逐次通訳・同時通訳・語学講師)
AOTS通訳・JICA通訳・国立公文書館通訳・JR東日本鉄道技術通訳(文系・理系通訳対応)
警察大学委託講師・ダイハツ社にて教授法指導・OVTAにて語学講師(日本語・インドネシア語)
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お勧めの本:
1.英語が話せない!原因は、音がしっかりしていないからです。日本人は読み書きが出来るにしてもまずは、きちんと音声から学ぶべきです。

英語音声学入門

英語音声学入門

  • 作者: 竹林 滋
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 単行本

2.どこが究極か分かりませんが、視覚情報を捉えるよりも、聴覚情報をいかにして理解できる練習が重要です。キーワードは、書くのではなく、話す。読むだけではなく『聞く』のです。

究極の英語リスニング Vol.1―SVL(Standard Vocabulary List) (1)

究極の英語リスニング Vol.1―SVL(Standard Vocabulary List) (1)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2008/02/22
  • メディア: 単行本

3.『入門』『はじめて』が付く本は、基本的に、徹底的に分かりやすく説明が書いてあります。本選びに、是非、このコツを使って下さい。

はじめて聞くニュース英語 入門編 (VOAスペシャルイングリッシュシリーズ)

はじめて聞くニュース英語 入門編 (VOAスペシャルイングリッシュシリーズ)

  • 作者: 英語出版編集
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2003/03/25
  • メディア: 単行本


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(インドネシア語)第二言語教育における学習支援~方略的能力に焦点をあてて~ [教授法]

平成22年のJICAインドネシア語講師募集要項に、以下の小論文の設問がありました。時間があれば、文献調査だけではなく、実際に調査をしたかったのです。

設問:
外国語学習者は言いたいことと実際にその言語で言えることとの間にズレを感じる状況に出くわすことが度々ある。こうした不快なことを対処するには学習者が有効なコミュニケーションストラテジーを使うことが必要である。Canale and Swain(1980)は言語コミュニケーションを促進するような形で、そうしたストラテジーを使うという学習者の能力のことを"strategic competence"と呼んだ。彼らはstrategic competenceを「運用上の諸変数あるいは不十分な(言語)能力によるコミュニケーションの問題を補填するのに用いられる言語的・非言語的コミュニケーションストラテジー」から構成される能力と定義した。
さて、communication strategies あるいはstrategic competenceに関して以下の2つの設問に答えなさい。

1)どういったcommunication strategies が言語的に難しい状況に対処するために有効であろうか。
2)strategic competenceを養成するために、教室の中でどういう支援が可能だろうか。

それで、第二言語習得の文献調査をして、以下の小論文を書いた。直接的な引用は、2つの文献だけだったが、今まで、私が行って来た『インドネシア語教授法』に少しは理論的な裏づけを得た感じがした。英語・日本語の教授法研究を参考にしながら、『日本人に特化するインドネシア語教授法を構築したい』と願って第一歩踏んだ。多くのインドネシア語講師とお話を伺って、自己流でご自分の教え方を確立した先生が多いですが、『果たして、日本人にとってどんなインドネシア語教授法が一番効果がある』という議論はあまりされていない。インドネシア語を教えている先生方の専門分野は様々であり、必ずしも、教育学を意識して教えるという訳ではない。又、職人技として見られることがある。従って、『あの先生は明るいし、教え方が上手だし、到底真似できない。』『僕には僕の教え方がある』などということを口にするのが当然である。つまり、前者は、教授法の出来とは先天的であることに対して、後者は、教授法とは主観的であるという無意識な理解があるから、『議論しても無駄だ』ということになる。
 無論、今回は、課題に答える小論文なので、課題に沿って『結論』を結ぶために、大胆な前提を取ったりすることがある。後に、調査をしながら、修正していきたいと思う。

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第二言語教育における学習支援~方略的能力に焦点をあてて~               ALBERTUS PRASETYO HERU NUGROHO はじめに JICAボランティア事業は、青年海外協力隊派遣とシニア協力専門家派遣から構成される。そして、任国におけるボランティア活動を円滑にするために、派遣前訓練が行われる。その派遣前訓練の内容の一つは、語学訓練がある。本小論文では、語学訓練のあり方に関して方略的能力(strategic competence)に焦点を当てながら、議論を展開し、Canale and Swainなどによる応用言語学及び言語教育学の観点から、論じることとする。 JICAの派遣前語学訓練は日本における訓練と任国における訓練と二つに分けることが出来る。日本における訓練期間は、65日間に及び、教室での語学訓練活動は、平均して4時間である。このような限られた期間で、いかにある程度のレベルまで任国で主に使用される言語を取得できることは、在日本訓練所における訓練課題である。 1.     第二言語取得とコミュニケーション能力 

在日本訓練所で行われる語学訓練の目的は、第二言語取得であり、単なる外国語の学習ではないのであることに注目するべきである。第二言語取得は、母語(第一言語)の次に、学習して取得する言語である。

第二言語が取得されるということは、当該言語において、コミュニケーションが十分に行われるという見解に立てば、Canale and Swain(1980)の論文を引用することに意義があると考えられる。Canale and Swain(1980)によると、コミュニケーションを行うには、コミュニケーション能力が必要とされる。又、同論文によるとコミュニケーション能力は、以下の三つの構成要素から成り立っている。

a.      文法的能力

b.      社会言語学的能力

c.       方略的能力(strategic competence

 上記のコミュニケーション能力の構成要素は、後に1983年のCanaleの論文において、ディスコース能力が付け加えられたが、本小論文において、Canale and Swain(1980)の見解に沿って議論を展開しようとする。

 かくして、コミュニケーション能力を取得するということは、上記の三つの能力を取得することを意味している。上記のコミュニケーションを構成する要素を改めて、以下のように説明する。

   『文法的能力』は、学習言語の音声・音韻の知識、語彙の知識、語形成の知識、文形成の知識などを指している

   『社会言語学的能力』は、発話時の話題(トピック)、参加者役割(話し手と聞き手の社会的地位・役割など)、発話時の社会的な場面(インフォーマルな場面なのかフォーマル場面なのか、場所や地域性などの要因が入っている)などを指している。

   『方略的能力』についてJICA募集要項の小論文の問題に掲載される定義を採用して、方略的能力は運用上の諸変数あるいは不十分な(言語)能力によるコミュニケーションの問題を補填するのに用いられる言語的、非言語的コミュニケーションストラテジーから構成される能力である。

本小論文の焦点となる方略的能力の定義の中に、『不十分な言語能力によるコミュニケーション問題』という記述があるが、不十分な言語能力とは、上記の文法的能力と社会言語学的能力の欠如である。このように、方略的能力(strategic competence)は文法的能力と社会言語学的能力と相互作用関係にあるので、方略的能力を論じる際に、文法的能力(grammatical competence)と社会言語学的能力(sociolinguistic competence)から切り離して論じることは賢明な方法ではないと考えられる。従って、本小論文の設問に対して、常に文法的能力と社会言語学的能力を意識して方略的能力に関する議論を展開していくのである。

 2.『生得的な方略的能力』と『教育支援』の再定義 

 論点拡散を防ぐために、Canale and Swain(1980)で使用されるstrategic competence communication strategiesの用語について述べる必要がある。柳瀬陽介は『第二言語コミュニケーション力に関する理論的考察』でcommunication strategiesを『コミュニケーション方略』で、strategic competenceを『方略的能力』と記述しているが、両者は、Canale and Swain(1980)の論文の中で、同義語だと把握される。本小論文の議論は、Canale and Swain(1980)を元にしながら、『能力(competence)』に関する概念は、チョムスキーが提唱した『生得的能力』を採用している。すなわち、万人は生まれながらにして方略的能力を持っていると出張している。

本小論文は大胆な仮定を採用した妥当な理由がある。方略的能力は、生得的能力であるかそうではないかの議論の余地が残っているにも関わらず、JICAの派遣前語学訓練(特に非英語の語学訓練)は短期間(65日間)と限られた言語的資料という条件の下で、方略的能力が『生得的能力』であると仮定した方が有益だからであると考えられる。

当然、この見解の帰結として、『第二言語教育の課題は、いかにして第二言語学習者にとって学習しやすい環境・手法・教授を提供できるか』である。さらに、『いかにして第二言語学習者にとって学習しやすい環境・手法・教授を提供する』ことが『学習支援』だと捉えることが出来る。

JICAボランティア事業の派遣前訓練の性格を踏まえて、以下の支援が可能である。

教室の中の支援:

a.      『繰り返し練習』

b.      『説明』

c.       『実施する小テスト(定期的な能力向上の検査)』

d.      『身体トレーニングを介する練習』

e.     

教室外の支援:

a.        e-learning開発』

b.        『学習者の学習指導』

c.        

 

3.第二言語における言語的に困難な状況に対処するために有効な方略的能力 

 方略的能力は、『運用上の諸変数あるいは不十分な(言語)能力によるコミュニケーションの問題を補填するのに用いられる言語的、非言語的コミュニケーションストラテジーから構成される能力』であると定義される。定義に従って、言語的に困難な状況も以下のように分けることが出来ると考えられる。

a.        文法の知識が低い

        学習言語の音韻・音声を区別出来ない(音韻論的要因)。

        語彙力が低い(語彙論的要因)

        語の形成のルールを理解していない。(形態論的要因)

        構文のルールを理解していない。(統合論的要因)

b.        任国における社会言語学的な知識が低い

        発話時の参加者役割のルールを理解していない。

        場面の区別のルールを理解していない。

        容認できる話題のルールを理解していない。

 上記のa.b.についての不十分な言語能力の要因を補填するために、以下の方略的能力が考えられる。

c.         文法の知識が低いことを補填する『方略的能力』

        学習言語の音韻を区別して発音出来ない場合に、既に取得した母語や母語の音韻体系に近い外国語の近似音類似音を借用して発音する。

        語彙力が低い場合に、造語母語からの直訳遠回しなどで言い換える。又、語を示唆するような動作を見せてジェスチャーで語を表現する。

        忘れた語形成のルールや構文のルールを学習してない、もしくは忘れた場合に、その語句や構文を使用せず、類似語句類似構文を使用して発話を試みる。

d.        任国における社会言語学的な知識が低いことを補填する『方略的能力』

        任国における発話時の参加者役割や場面の区別が分からない場合、日本語のように敬語・謙譲語・尊敬語体系のある言語では、適切な発話が出来ないので、とりあえず、比較的に無難な丁寧な語(polite-form)で話す

        容認可能な話題のルールを理解していない場合は、任国の社会構造の情報を探して「触れてもいい話題」と「触れてはいけない話題」を意識する

 このように、『方略的能力』は、言語的状況に応じて、変わって来るのである。教育者の立場からして、2.で前述したように、これらの『能力』は万人に備わっているという前提に立たなければならないと思われる。なぜなら、ある人に備わっているが、他の人に備わっていないと考えてしまうと、偏見が生じかねない。

 4.第二言語教育において方略的能力を重視する意義 

母語において、言語コミュニケーション能力が高い(無論、文法的能力と社会言語学的能力と方略的能力を含めて)とされる学習者でも、第二言語を学習する際に、しばしば上達のスピードが遅い場合がある。このことに関して3.で既に議論されたように、Swain and Canale(1980)によると言語コミュニケーション能力を支える諸能力があり、『文法的能力』と『社会言語学的能力』が非常に高い場合に、『方略的能力』が低くても、総合的に、コミュニケーション能力が高いとされ得る。しかし、第二言語を学習する際に、該当言語の『文法的能力』と『社会言語学的能力』が非常に低いので、第二言語を学習するまで、方略的能力つまり strategic competence が鍛えられなかった。

例を挙げると、ある学習者は、母国語において、語彙や文法の知識が広いという『文法的能力』、そして、場面を理解し、自己の立場を弁えるような社会言語学的能力が強ければ強い程、『方略的能力』を使わなくても済む場合が多い。

又、多民族国家の場合、公用語が多くの国民にとって第二言語になり、言い換え(paraphrasing)や借用(borrowing)などの方略的能力が実際のコミュニケーションにおいて多く産出されるので、方略的能力を刺激する言語的なインプットが多いが、日本人にとって、日本語は母語であり、第一言語なので、こうした方略的能力を意識していない。但し、近年では、日本人が比較的に海外に旅行できるようになったのと外国籍の住民が増えることで、言語的に困難な状況に遭遇する人が増え、『方略的能力』を目覚めさせようと意識的に努力する人が増加するのも事実である。

 かくして、第二言語教育において、『方略的能力』の意義を再度確認する必要がある。

 5.方略的能力(strategic competence)を養成するための諸支援 

 方略的能力は、『不十分な言語能力によるコミュニケーション問題を補填するのに用いられる言語的、非言語的コミュニケーションストラテジーから構成される能力』と定義される。『不十分なコミュニケーション問題を補填する』という点において、一貫性をもつために、定義により、あくまでも、『方略的能力』は、『補助的』『補填的』だと捉える必要がある。従って、4.で言う『方略的能力に重点を置く』ということは、文法ドリルや語彙の暗記などのような伝統的な言語教育に必ずしも相反しているとは限らない。文法的能力アップを図る支援と社会言語学的能力アップを図る支援も同時に行わなければならないのである。又、教室の中のパーフォマンスを支える教室外の『学習者の自習指導』も同時に行う必要がある。

 2.で前述したように、以下の支援が考えられる。

教室の中の支援:

a.      『繰り返し練習』

c.のパーフォマンスの評価により、言語コミュニケーション諸能力を予測し、どの単語が暗記しにくいのかどの文法事項が使いづらいのかに重点を置いて練習を行う。

b.      『説明』

最新の言語学の見解を意識しながら、任国における母国語教育(国語教育)について触れて学習者に説明することである。社会言語学的能力を目覚めさせるために、任国の社会事情や言語使用の事情を主観的かつ客観的に伝える必要がある。『説明』の時間を特別に設ける必要がない。練習やテストの答え合わせの時に、『繰り返し』て行うことで、学習者が任国の社会事情を意識しながら、発話の産出を促進する。

c.       『実施する小テスト(定期的な能力向上の検査)』

mid test final testの間に、定期的に、小テストを実施して、パーフォマンスを図ることで、『能力』アップを予測することが目的である。

d.      『身体トレーニングを介する練習』

言語的コミュニケーションのほかに、非言語コミュニケーションがある。動作を任国の社会で解釈できるジェスチャーと共に訓練を行うことである。

e.     

教室外の支援:

f.        e-learning開発』

教室での学習は、教師や他の学習者とのコミュニケーションを図りながら、第二言語を学習できるという利点があるが、理想的な話者と聴者を想定(イメージ)して、聴き取り練習を各自行ったり、ペアリングを学習者の都合で学習したり出来るために、JICAニーズに応える独自のe-learningなどのソフト開発が出来るとベストであるが費用がかかるので、東京外国語大学の言語モジュール(http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/)を利用することが勧められる。

g 『学習者の学習指導』

学習者は、時として 有効な学習方法が理解していない。追加課題などを与えて、学習の仕方を指導する必要がある。

h.

 

 

まとめ

 Swain and Canale(1980)によると方略的能力(strategic competence)は、文法的能力(grammatical competence)と社会言語学的能力(sociolinguistic competence)と共に言語コミュニケーション能力の構成要素である。言語的に困難な状況を対処するために、言い換え(paraphrasing)や話題回避などの方略的能力は、本小論文では、先天的であるという前提に立ち、第二言語教育の議論を展開した。Strategic competence は、他の能力と相互作用関係にあるので、手法が比較的に多い他の能力の養成方法を行いながら、communication strategies(コミュニケーション方略)を導入することが必要である。

 参考文献:

今井邦彦編.(1986).『チョムスキー小事典』東京:大修館書店

柳瀬陽介.(2006).『第二言語コミュニケーション力に関する理論的考察』東京:渓水社


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著者:アルビー

 

 


 


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天女の羽衣 pakaian bidadari [教授法]

                             ARYO MENAK DAN DEWI TUNJUNG WULAN


 

新橋初級レッスン教材(2009年1月10日)

by. Arbee

1.Pada zaman dahulu hiduplah seorang pemuda bernama Aryo Menak.
2.Dia sangat suka mengembara keluar masuk hutan.
注釈:
1.昔々、アルヨ・ムナックという一人の若者がいました。
2.彼は森を出たり入ったりして放浪の旅に出るのがとても好きです。

pada zamandahulu
mengembara

昔の時代に
放浪の旅に出る(歩いて旅する)

3.Suatu malam bulan purnama, dia berjalan-jalan di hutan.
4.”Indah sekali pemandangan bulan malam ini!”katanya.
注釈:
3.ある満月の夜に、彼は、森の中を歩いて散歩しています。
4.『今宵の月の景色はとても美しいな』と言いました。

Suatu malam
Bulan purnama
pemandangan

ある夜
満月
景色

5.Tiba-tiba dia mendengar sayup-sayup suara perempuan.
6.Aryo Menak kemudian mencari asal suara itu.
注釈:
5.突然、彼は、女性の微かな声が聞こえます。
6.アルヨ・ムナックは、そして、その声の元を探しに行きます。
Sayup-sayup微かに、(声にしか使わない)
7.Dan tibalah dia di sebuah telaga.
8.Tampak bayangan bulan purnama menari-nari di permukaan air telaga.
9.“Oh!”kata Aryo Menak dalam hati waktu melihat para bidadari cantik.
10.Mereka tampak sedang mandi di telaga itu.
注釈:
7.そして、彼は、ある池に辿り着きました。
8.満月の陰は、池の水面に、踊っているように、見えます。
9.『あっ』と美しい天女たちを見て心の中で叫びました。
10.彼女たちは、その池で水浴びをしているように見えます。
Telaga
Tampak
Permukaan air
bidadari


○○に見える
水面
天女

11.Kemudian Aryo Menak berpikir untuk menyembunyikan salah satu pakaian bidadari itu.
12.Dia mengambil sebuah pakaian dan menyembunyikannya.
注釈:
11.そして、アルヨ・ムナックは、その天女たちの服を一つ隠そうと考えています。
12.彼は、一枚の服を取ってそれを隠しました。
Menyembunyikan
Salah satu
隠す
多くの中の一つ
13.Setelah selesai mandi dan akan pulang ke kahyangan, tiba-tiba suasana menjadi ramai.
14.Pakaian salah seorang bidadari tidak ada di tempatnya.
15.Hilang!
注釈:
13.水浴びをして、天上界に帰ろうとした時に、場の雰囲気が慌しくなりました。
14.一人の天女の服は、あった場所にはありませんでした。
15.なくなりました。
Kahyangan
Suasana
Salah seorang
天上界
雰囲気
大勢の人の中の一人
16.Para bidadari kemudian terbang pulang kembali ke kahyangan.
17.Tampak seorang bidadari menangis di telaga.
注釈:
16.天女たちは、そして、天上界へ飛んで帰りました。
17.一人の天女が、池に、泣いて見えます。
menangis泣く

(続く)



授業の進め方と方針:
1.民話の中に、外来語が少ないのです。あるとすれば、古い時代に入ってきた外来語ですので、民話を題材にすれば固有のインドネシア語の単語を身につけることが出来ます。
2. 授業は、インドネシア語技能検定試験D級(外国語大学一ヶ月以上の学習)以上でも楽しめるように、教材・教授法を工夫しています。無論、それ以上の方でも、この講座は十分楽しめます。独特なリズム、散文の形を取ったにも関わらず、文と文との間を結ぶ-lah等を学べます。
3. 今回のテーマは、『天女の羽衣』のお話に似ています。このように、世界各地で、かぐや姫のような『月人』の物語が多くあります。外を学べば、内を学ぶことに繋がります。インドネシア語を学ぶことで、日々の日本語に気を配ったり、様々な発見が出来るとこの授業の目的が達成しています。


問い合わせ:
lakilaki_indonesia@yahoo.co.jp 
(アルビー)
*アジアアフリカ語学院講師
*アルク社語学研修コーディネーター(インドネシア語)
*AOTS・JBIC・ICHSA等国の研修機関の通訳・翻訳者
*インドネシア大使館主催のKOI(Kursus Orientasi Indonesia)講師
*インドネシアに関連する企業へのコミュニケーションのコンサルタントを行っていますので、気軽にどうぞ。


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表現について 「アジアアフリカ語学院の講義」 [教授法]

1.Perasaan dan pikiran seseorang tidak berbentuk.
人の感情や思考は、形が無い。
解説:
seseorang は、厳密に言うと『一人の』『ある人の』に訳すが、任意の人を表す。しかし、日本語は、それらの語が無くても任意を表せるので、人のと訳しても良い。

2.Sehingga jika tidak diungkapkan atau diekspresikan dalam bentuk yang dapat dipahami bersama,maka mustahil bagi kita untuk mengetahui perasaan dan pikiran seseorang tersebut.
したがって、共通に理解できる形で表現しなければ、その人の感情や思考を知ることはありえない。
解説:
mustahil (bagi○○) [untuk ○○]
(○○にとって)[○○することは]ありえない 

3.Ada banyak cara berekspresi atau cara mengungkapkan perasaan dan pikiran.
感情や思考を表現する方法が沢山ある。
解説:
インドネシア語で多用される[atau]は、ただ、別の言い方に言い換えることもある。この場合の訳し方は
「○○atau⊿⊿」は[○○ つまり ⊿⊿]
berekspresi は外来語
mengungkapkan はインドネシア語の固有の語

4.Misalnya dengan menulis,menggambar,gerakan tubuh dan lain-lain.
たとえば、書くことや絵を描くことや体の動きなどだ。
解説:
yaitu [つまり]を使えば、書き手があたかも 表現法の数を全部理解している印象がある。しかし、絶対というものは、世の中に、あまり受け入れられていないので、misalnya で誤魔化すこともテクニックである。

5.Dalam bentuk tulisan, kita mengenal prosa dan puisi.
書き言葉という表現法では、散文や詩等がある。

6.Baik prosa maupun puisi,ada bentuk tertentu yang harus diikuti supaya dapat dimengerti oleh orang lain.
散文も詩も他人に理解してもらえるように、従わなければならない形がある。
解説:
bentuk tertentu は、不特定の形を現している。「ある形」に訳さなくてもよい。逆に、決まった○○が無ければ、インドネシア語の論文などで書くには、○○tertentu か suatu○○にすればよい。

7.Berbicara tentang bentuk,kadang kala timbul pertanyaan,"mengapa kita bisa menamakan sesuatu yang bulat dengan sebutan bulat?".
形を論じると、時としてなぜ丸いものを丸いと指摘できるのかという問いが出てくる。
解説:
やはり、丸いもの は、決まった何かを指すわ・け・ではないので、sesuatu○○ を使います。

8.Ada banyak jawaban terhadap pertanyaan tersebut.
上述した質問に対して多くの答えがある。
解説:
jawaban terhadap ○○
○○に対する答え

9.Namun,salah satu jawaban yang termudah adalah bahwa kita dapat mengenali sebuah bentuk karena kita TELAH belajar sebelumnya.
しかしながら、もっともシンプルな答えの一つとして、なぜわれわれはある形を認識できるかというと、われわれは、その形について既に学習したからである。
解説:
adalah の次に、文が来る場合は、その文は、同時に引用句になるので、kalau をしようするか bahwaを使用するのである。

10.Pendek kata,sebuah bentuk haruslah ada terlebih dahulu di dalam kepala kita sebelum kita mengenali sesuatu.
要するに、何かを認知する前に、私たちの頭に事前に、その認知対象となる形がなければならないのだ。

11.Kembali ke pokok pembicaraan tentang ekspresi tulis,yang terpenting dalam menulis adalah taat asas.
書く表現という議論に戻すと、書くことにあたり、一番重要なのは、ルールへの服従である。

12.Karena asas adalah bentuk dan bentuklah yang membuat pikiran dan perasaan ini dimengerti oleh orang lain.
それは、ルールは形であり、又、形を通してこそ思考や感情が他人に理解してもらえるのだ。

13.Dalam bahasa Jepang kita mengenal ki-sho-ten-ketsu.
日本語では、起承転結というものがある。

14.Sebuah teknik di mana pokok masalah-dikembangkan-dikontradiksikan-dan disimpulkan kembali.
本題があって、それに基づいての展開をしてから、その反対のこととたたかわせて、論を結ぶ という技法である。

15.teknik penyampaian atau pengekspresian ini adalah teknik tingkat tinggi.
この表現法は、高度な表現法である。

16.Tidak semua orang Indonesia dengan mudah dapat memahami urutan ini.
インドネシア人は、皆、この順番を理解するとは限らない。

17.Dan syarat utama penggunaan teknik ini adalah penguasaan mutlak tata bahasa Indonesia.
そして、この技法をあえて使うのなら、インドネシア語の文法を完璧にマスターする必要がある。

18.Jika Anda tidak begitu menguasai tata bahasa Indonesia dengan baik,maka disarankan untuk memakai bentuk penyampaian sebagai berikut.
そして、もしインドネシア語の文法の知識が乏しいのであれば、以下の表現法を使うことをお勧めする。

19.a.Pernyataan atau pokok masalah.
主張 か 本題
19.b.Sebab,alasan atau latar belakang.
原因、理由、背景
19.c.Kesimpulan secara umum dan dianjurkan untuk menyampaikan pendapat pribadi.
一般的な結論、そして、それに対する個人的な意見を述べることは望ましい。

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by.アルビー(Albertus Prasetyo Heru Nugroho)
インドネシア語講師・翻訳通訳
HP          www.merapi.com/arbi
Email    lakilaki_indonesia@yahoo.co.jp
Mobile     090-9342-2726
個人レッスン・大学講義・企業研修などを承ります。


20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

  • 作者: ティナ・シーリグ
  • 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: 単行本

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受動態の呪文  [教授法]

KOI大使館勉強会
2008年12月2日
****************
1.インドネシア語の動詞は、接頭辞を中心に分ければ、
a)何もつかない動詞 (ter-,di-等はここで扱う)
b)ber-がつく動詞 つまり ber-動詞
c)me-がつく動詞 つまり me-動詞
があります。
2.何もつかない動詞とber-がつく動詞は皆『自動詞』です。 
3.me-動詞の『一部』が他動詞です。

さて
4.インドネシア語では、他動詞と呼ばれるからには、文や句を作ることにあたり、ごく一部の動詞を除いて、必ず二つの表し方があります。

それは
5.動作主が主語の場合、me-が語幹につきますが、
6.被動作主が主語の場合、me-を取ります。

万が一取らない場合、
I is Arbi が 明らかに過ちだということに等しいです

--------------------------------------------------
一言:
人は暗記したもんがちです。暗記したものはたとえ間違ったとしても、いくらでも、修正が効きます。しかし、頭の中に無いものはもうどうしようもありません。そこで、あまり語学講座としてやっていないが、企業理念などにしました。般若心経は、般若経の一番大事なところを抑えるように、上記の6.を唱えれば、とりあえず、良く間違った『受動態・能動態』を排除できるのです。

しかし、皆さんがよく唱えてくれましたね。来週、この形の取得次第、会話に移ります。

目指すは、最短、彼岸なるインドネシア語の境地。

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例:
kotak yang membuat saya(私が作った箱).
は、なぜ間違ったか 
(kotak)[yang membuat saya]という句の中に一番重要な『句の頭』は、です。そして、そのは、擬人化せず、buat(作る)動作の影響を受けるので、『被動作(句の頭)』になっています。したがって、呪文第6に基づいて、[...]の部分に、me-動詞を仮に使うのであれば、me-を取らなければならないので、間違っています。

さて、呪文が残した選択は、
(kotak)[yang ....buat]です。
ここまで呪文をキチンと覚えてくれたら、別の呪文がありますが、ここでは、取り上げませんが、
(kotak)[yang saya buat]か
標準語としてあまりお勧めしてない
(kotak)[yang dibuat saya]
になるのです。


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アルビーのインドネシア語入門講座! [教授法]


まず、
①文法の説明をします。その後、これから使う単語や語句を反復練習します。
②生徒同士の練習
③コミュニケーションの仕方

インドネシア語ができない!という悩みを抱えている方が多いのですが、私は、この方々に文法テストをしてから、気づきましたが『インドネシア語ができない』のではなく『どうやって会話を展開するか 知らない』のです。なので、授業では、会話の進め方など教えています。大学の先生は、基本的に『営業』はしたことが無いのです。営業の話術には、様々なテクニックがあり、このテクニックを使いこなせば、初心者でも、『話せます』。一度、教室に来て下さい。

現在、下記のレッスンを承ります。
1.個人レッスン(都内・横浜・埼玉)
  半額体験レッスン(80分・2500円)を実施します。初回のみ
  是非お問い合わせ下さい。
  aoyama_kai@yahoo.co.jp
  090-9342-2726
2.新橋の入門講座
  
場所 :生涯学習センター
        〒105-0004 港区新橋3-16-3
        https://shisetu.kissport.or.jp/user/jsp/intro/RSIU700.jsp

  a. 全く入門
    17時45分~19時15分
    参加費:全四回(1万円)
         毎回払い(3千円)
  b. 簡単な読み物でインドネシア語を楽しめる
    19時半~21時
  問い合わせ:
  aoyama_kai@yahoo.co.jp

3.キラキラ会
  場所:吉祥寺のコミュニティーセンター
  毎週土曜日10時~11時半
  参加費用 :1000円
  aoyama_kai@yahoo.co.jp

*********
アルビー教室の特典
*********************
又、アルビーレッスンに通っている皆さんは、神田のLAKI-LAKIのインドネシア料理店に来店すれば、  WELCOME DRINK を頂けます。
http://r.gnavi.co.jp/a662700/menu2.htm

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日本語って難しい(1)音便 bahasa Jepang itu susah! [教授法]

まだINJで教えていた頃、私の教室に来て下さる生徒さんは、me-動詞のところになると、『せんせー!インドネシア語って何て不便な言葉ですね。だって、me-を付けるだけなのに、なぜこんなに変化しているんですか』とよく悲鳴を上げていました。
  この類の質問に対して、私は、文法的・言語学的な観点から答えをしませんでした。その代わりに、私は、日本語を始めて学ぶ時のお話をしました。



me-動詞の変化は、http://www.geocities.jp/lakilaki_indonesia/kuliah/pemula/023.html

で確認して下さいね。


bahasa Jepang itu susah!

2000年の春に、私は、初めて、日本の地に足を踏んで、それから、大阪外国語大学で、忙しい日本語の勉強が始まりました。日本語を勉強する時に、インドネシア語と語順が異なることが然ることながら、音の変化に苦しめられました。それは、音の変化、取り分け、『音便』と呼ばれる音の変化の現象です。
  皆さんが知らないのは、当然ですが、これらのことは、外国人や日本語を専門に学んでいる日本人にしか教えられていませんので、『へー』と言ってもしょうがないでしょうね。
  それは、つまり、こういうことです。
1.『書く(kaku)』という言葉ってありますよね。じゃ、例えば、それに進行形にして下さいといわれたら、どうなりますか?--『-ている』は、進行形だけではなく、継続をも表しているモノで、誤解を招きやすいのかもしれませんが--
  答えは、書いています(kaiteimasu)に決まっているんですね。
  つまり、kakuのkuの部分は、iteimasuに変化しますね。

2.しかし、問題は、例えば、泳ぐ(oyogu)の場合、どう変化すると思いますか?
外国人に成りきって下さいね。
   kaku は、kaiteimasuになるから、よっし分かった!最後の部分(gu)を取り、oyoにiteimasuをつければ良いだろう。だから、泳ぐの『進行形』は、oyoiteimasu(泳いています)だ。と演繹的に考えています。
 しかし、皆さんは、既に分かっていると思いますが、答えは、『泳いでいます(oyoideimasu)』ね。


幸い、日本に来る前に、国際交流基金で恩師と呼ぶべし日本語の先生に師事して、次の変化を歌にして、教わりました。
最後の音節は
1.-ku-の場合は、ite
2.-gu-の場合は、ide
3.-bu-,-mu-,-nu-の場合は、nde
4.-u-,-chu-,-ru-の場合は、tte
例えば、[tobu(飛ぶ)]という語の進行形は、『tondeiru(飛んでいる)』ですね。詰まり、
tobu の最後の音(音節)は、3.の-bu-なので、その部分を取ってnde-iruを付けます。
tobu --> to+nde+iru -->飛んでいる。
になります。



ここまで、来れば、日本語はいかに、難しいかを再認識している生徒さんが多いのです。そして、やがて、me-動詞の変化の仕方の講義を素直に聞くようになりました。
  実は、これは、アルビー流の『教授法』の1つ でもあります。疑問や質問とは、時々、答える必要が無いのです。
  疑問文 とは、必ずしも『答えを要求する疑問』とは限りませんね。単に、『面倒くさい』ということの表れになることもあります。
  言語学を学ぶ者には、既に分かるかと思いますが、
A:彼はどこにいるの?
B:知る
 上記のBが取った文の形式は、『疑問文』です。それは、『-か』が付くからです。しかし、これは、
B:知るか!知らないに決まっているやろう!
 という『知らない+イライラ気持ち』の表れですね。
 『外』が付く何かを学ぶ時に、例えば、『外国語』を学ぶ際に、まず、『己を知る』ことが大切ですね。真正面から否定するのではなく、『じゃ、自分の〇〇だったら、どうなの?』という問をすることも必要ですね。


用語解説:
cara berpikir logis (論理的な考え方)

『論理』という道具を使って人が考える際に、2つのやり方があります。
ア。演繹法(indonesia語:deduktif)
あるルールを基盤にして、何かを考える時に、それに適用する。
イ。帰納法(indonesia語:induktif)
事実と事実の間の関係・共通点・相違点を元にして、それらの間に潜んでいる『ルール』を見つけること。




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