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日インドネシア比較文化:忠臣蔵から学ぶ 日本人の忠義の範囲 [インドネシア納得情報]

2011年に日本企業が次々とインドネシア進出を果たしました。いよいよ準備が出来た時に、人材はどうするのか 会社の組織はどうすればいいのか 色々と悩んでいる企業が多いでしょう。インドネシア総研の日インドネシア比較文化部では、日々の経営や市場戦略を日インドネシア比較文化的な観点から検討します。そこで、議論になったのは、

日本人社員とインドネシア人社員の忠義の範囲は?


という題です。

前回は言語学的にインドネシア語と日本語の『文脈依存度』という要因で見てさほどが差が無いのになぜか組織論が異なるのか 日本語では、『私はウナギ』という文は、居酒屋にいると、『i am eel』という風に訳すことが無いように、インドネシア語『Saya belut』も同じです。英語の場合は、場所が変われば、動詞も変える必要がある。『I would like to eat eel』等。

話を少し整理しましょう。
前提1:言語がアイデンティティ
前提2:インドネシア語と日本語は相互的に類似している。
前提3:アイデンティティは、帰属組織の形と相互作用している。

となると、帰結は、インドネシア語ユーザーの組織論と日本ユーザーの組織論が同じなはず。
しかし、異なるという事実は、まず組織論形成は他に決定するものがあると。

F組織論 = f(言語的類似性、歴史、f3,f4,....,fn)

個人的に社会学はクロースシステムではないのでちょっと好きではないのですが、とりあえずnは、有限だと仮定しましょう。fnの中に、『忠義』というものも考えられるかと。

現代日本人のサラリーマンは、江戸時代の武士と似ているとされます。無論、様々な経済危機で終身雇用がなくなりつつありますが、終身雇用への思考が強いかと思います。仮に、現代サラリーマンは武士に例えることが出来るとすれば、武士の【忠義】は、サラリーマンの【忠義】に類似性が認められるであろう。そこで、忠臣蔵の話が一番分かりやすいです。
忠臣蔵.jpg 

赤穂浪士は、幕府の規定に従うよりも、自分たちの藩主に義を貫きます。現代インドネシアでは考えられないものです。インドネシアは、多民族国家になっていて、民族の規定を超える何かが拠にならないとバラバラになります。そこで、国家 と 宗教 は、その拠となっています。

唯一、忠臣蔵に似ているのは、YOGYAの王様へのYOGYA市民の忠義です。万が一、YOGYAが共和国と戦争等する場合、恐らく、YOGYA市民は、YOGYAの王様の見方になります。

さて、会社組織の場合、日本のサラリーマンは、会社への帰属意識、つまり忠義が強いと言われています。会社のためなら何でもなれるのです。だから、job description等不要。しかし、インドネシアでは、会社への帰属意識が薄いと見られるので、job descriptionの徹底が必要。中途半端に、報連相を強要することも良くない。

回答:現代日本のサラリーマンの忠義の範囲は自社のみ。但し、その帰属意識はインドネシア人のよりもはるかに強いもの。


Albertus Prasetyo Heru Nugroho
インドネシア総研代表取締役
www.indonesiasoken.com
arbee@indonesiasoken.com
東京都渋谷区代々木1-21-8 クリスタルハウス 5F
03-5302-1260

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