受動態の呪文 [教授法]
KOI大使館勉強会
2008年12月2日
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1.インドネシア語の動詞は、接頭辞を中心に分ければ、
a)何もつかない動詞 (ter-,di-等はここで扱う)
b)ber-がつく動詞 つまり ber-動詞
c)me-がつく動詞 つまり me-動詞
があります。
2.何もつかない動詞とber-がつく動詞は皆『自動詞』です。
3.me-動詞の『一部』が他動詞です。
さて
4.インドネシア語では、他動詞と呼ばれるからには、文や句を作ることにあたり、ごく一部の動詞を除いて、必ず二つの表し方があります。
それは
5.動作主が主語の場合、me-が語幹につきますが、
6.被動作主が主語の場合、me-を取ります。
万が一取らない場合、
I is Arbi が 明らかに過ちだということに等しいです。
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一言:
人は暗記したもんがちです。暗記したものはたとえ間違ったとしても、いくらでも、修正が効きます。しかし、頭の中に無いものはもうどうしようもありません。そこで、あまり語学講座としてやっていないが、企業理念などにしました。般若心経は、般若経の一番大事なところを抑えるように、上記の6.を唱えれば、とりあえず、良く間違った『受動態・能動態』を排除できるのです。
しかし、皆さんがよく唱えてくれましたね。来週、この形の取得次第、会話に移ります。
目指すは、最短、彼岸なるインドネシア語の境地。
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例:
kotak yang membuat saya(私が作った箱).
は、なぜ間違ったか
(kotak)[yang membuat saya]という句の中に一番重要な『句の頭』は、箱です。そして、その箱は、擬人化せず、buat(作る)動作の影響を受けるので、『被動作(句の頭)』になっています。したがって、呪文第6に基づいて、[...]の部分に、me-動詞を仮に使うのであれば、me-を取らなければならないので、間違っています。
さて、呪文が残した選択は、
(kotak)[yang ....buat]です。
ここまで呪文をキチンと覚えてくれたら、別の呪文がありますが、ここでは、取り上げませんが、
(kotak)[yang saya buat]か
標準語としてあまりお勧めしてない
(kotak)[yang dibuat saya]
になるのです。
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